天正カルタの現物は神戸の芦屋の滴翠美術館にたった1枚のみ残されています。これは九州の三池でつくられたものと考えられており、カルタの裏に「三池住貞次」という製造元の銘が入っています。
天正カルタは4つのスート〈聖杯、棍棒、剣、硬貨。其々コップ、ハウ又は青札、イス又は赤札、オウルと呼ばれた。〉に各1から9と女従者、騎士、王の12枚づつ計48枚の構成になっていました。女従者をソータ、騎士をウマ、王を初期には椅子に腰掛けていたためコシと呼び、やがて最後の札なのでキリ(切り)と呼ばれるようになりました。また棍棒の1は初期には「アザ、虫」、剣の1は「ぴん」と呼ばれ、ここから「ピンからキリまで」という言葉が生まれたと言われています。
その後、この天正カルタは度々禁止令が出され、「めくりカルタ」や「うんすんカルタ」に派生していきます。(「めくりカルタ」は安永年間〈1772年~1780年〉に天正カルタが名前を変え大流行したもので、その後、禁止され、48枚〈4スート各12枚〉という構成は花札〈12種各4枚で12ヶ月にちなんだ花鳥風月を配した札。〉に受け継がれます。)
天正カルタ成立の約100年後の貞享年間(1685年頃)に発展したものが「うんすんカルタ」となります。これはスートを1個増やすと共に、各スートに2枚のカード「うん」と「すん」を加えたものです。「うん」と「すん」があるから「うんすん」という訳です。結果75枚になります。「うん」の五枚は布袋、福禄寿、大黒、恵比寿、達磨で「すん」は唐人の黒冠する者皆「すん」也と書かれています。「うんとか、すんとか、言えよ」とか「うんとも、すんとも言わない」というのは、ここから来たと言われています。
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